マービットとハウザーの過去なのよ。

 今二人の関係は非常に安定している。どちらにも良い影響を及ぼしていると言えるだろう。 事すれば発狂しかねないと思っていたアリシアの精神状態も、守るべき対象が出来たことで目に見えて安定した。

「オレは今がベストだと思うんだよなぁー。 っつーか恋人ってなによ恋人って。ドンだけませてると思ってるのさ。ぼけてんじゃねーのかお上。なに?あれか? じいさんなのか? じーさんなのかお決まり的にお上。」

「あんまり悪口言うとまずいんじゃない?」

「いいんじゃん寝室で愚痴こぼすくらい。 で、はやかったな? マービット。」

 突然掛けられた声に、アービンは寝転がったまま応えた。

 その様子を見て、わざわざ天井に張り付いてまで姿を隠していたマービットは、つまらなそうに舌打ちをしてベッドの上に落ちてきた。背中からドカンとまったく受け身も取らずにベッドに転がると、スックリと立ち上がった。

 アサシンに成るために訓練されている子供たちは、当然のように逃げ出さないように厳重に管理された空間に置かれている。普通は逃げ出すことも、入り込むことも出来ない。

 だが。マービットは普通ではなかった。 アービンがマービットを担当して暫くのことだった。 なんとマービットは夜中にひょっこり、アービンの部屋に現れたのだ。 監視員にも、監視装置にも気が付かれる事無く。

 そして今では、こうして気が向いたときに部屋に出没するようになっていた。

 無論、ほかの者にばれれば厳罰モノではあるが・・・ばれなければそれは何も問題が無いと言うことでもある。

「なにか不穏な話が聞こえたよ。 ボクとねえさんがどうとか。」

 いつもの妙にニヤ付いた笑顔を浮かべながら、マービットは寝転がるアービンに顔を向けた。 ツインサイズのベッドである為か、二人で上に乗っていも手狭に感じないそれの上で寝返りを打つと、アービンは面倒くさそうに顔をしかめた。

「お上の打診だよ。気にするほどのことじゃないっての。 現場監督の俺のほうがまだこのカミッキレより権限があるの。」

「ほんと?」

「ああ。 ぎりっぎりだけどな。」

 なぜか自慢げに言うその様子に、マービットは「なにそれー、なさけないー」と言って、笑った。

「で? お前はどうしたい。」

 アービンの問いかけに、マービットは小首を傾げるようなしぐさを見せた。

「ボクはどっちでも良い。ねえさんのこと好きだし。 色々な意味で。」

「意味深発言だなオイ。幾つだお前。」

「でも、ねえさんは違うと思う。好きの種類がひとつだけなんだよ。」

 珍しく真剣そうなマービットの声に、アービンはその時初めてマービットの顔を見た。

「ボク、弟だから。」

 にっこりと屈託なさそうに笑うこの少年は、一体普段どんなことをしているのか。 それを良く知っている、やらせているアービンにとって、たまにマービットが見せる“本当に”屈託無く笑う今のような顔を見るのは、苦痛だった。

 ただ思えば。こう言う時に“苦痛を感じる”から、アービンは本人の要求通り、第一線を退けられたのかもしれない。

「このシスコンヤロー。 弟歴短けーくせによー。」

 思っていることを億尾にも出さず。アービンはマービットの両頬をぶにゅぅ〜っと捻り上げた。

「ぶえぇぇぇぇぇぇ。」

 なんとも良く判らない声を上げてもがくマービットをひとしきり笑いものにすると、アービンは「それで?」と話を切り出した。

「今日はなんだ? 眠れなくて俺の顔が見たくなったか?」

「何気持ち悪いこと言ってんだよー。このオヤジー。 眠れなかったらねえさんのとこ行くよー。」

「オヤジで悪かったな。」

 ブーたれるマービットに対し、勝ち誇ったように笑うアービン。

「約束したじゃんかよー。 チョコレート〜。」

「ああ。はいはい。覚えてるよ。これな。」

 笑いながら立ち上がると、アービンは本棚の中断ほどの位置においてあった、小さな手提げ袋を取り上げた。

 凝った細工のされたそれは、高級な菓子店の名が書き込まれていた。

「それそれ! ねえさんが言ってた菓子屋の!」

 パーッと表情を明るくするマービット

「プレゼントか? しかしチョコ一個20ってどう言う事よまったく。」

「まぁまぁ。 お礼はそのうちするってばー。」

 嬉しそうに手提げを受け取ると、マービットはそれを大事そうに服の中にしまう。そして壁に手を掛けると、いともたやすく天井に張り付いた。

「それ、どうするんだ。」

「ねえさんにあげるの。決まってるでしょ?」

「お前の口にも入るだろうがなー。 アリシアは絶対に自分一人じゃ食わんぞ。」

 その言葉に、マービットははたと表情を曇らせた。

「ちゃんと全部二つずつ買ってきた? 一つしかないのがあったら、ねえさん絶対ボクに」

「はいはい。 ちゃんと全部一種類に付き二つずつ買ってきたよ。いけいけ。お子様は寝る時間だぞ?」

 アービンの言葉に、マービットはほっとしたような表情を見せた。

「じゃ、ボク帰る。じゃーね。おやすみ。」

 すっ。 っと、溶けるように闇の中に消えていくマービットを眺めながら、アービンは苦笑を浮かべた。

「用が済んだらさっさとねーちゃんのとこか。 現金な奴め。」

 独り言をぼそりと吐くと、アービンは再びベッドの上に寝転がった。

 きっと、あんなものを持っていったらアリシアは卒倒するほど驚くだろう。そしてどうやって手に入れたのか。教官に見つかったら怒られないかと、ネガティブ思考の海に沈む。 必死で宥めるマービットの姿が目に浮かぶが・・・まあ、自業自得だろう。

 それにしても・・・と、アービンは思った。どうもマービットの言っている好きは、アービンの予想の範疇を少し超えているようだった。

「お上もまんざらぼけちゃいねーってことか? まあ、ねーちゃんのほうがあれじゃあなぁ。」

 心配ばかりかける弟を気遣う姉。アリシアのことを思い出すとき最初に浮かぶ、そんなタイトルのつきそうな表情を思い浮かべながら、アービンは楽しそうに思い出し笑いをかみ殺す。

「しっかしお返しねぇ・・・・・・まあ、期待せずに待ちますかぁ?」

 マービットがアービンに「これがチョコレートのお返し」と言ってあるモノを押し付けるのは、まだまだ十数年先の話だ。