ハウザー&マービット マービットの過去なのよ

 そのときマービットは、自分の姉になるという少女を見て、“なんだか弱そうだな”。と、思っていた。

 マービットは“仕事”で、“親子”の役をする事に成った。優秀だと言うマービットは、今後“子供”として実戦に投入される事に成っていたのだ。 当の本人にしてみれば、それは特に感慨のある事ではなかった。 訓練として人を殺す事も増えてきたし、そろそろかなぁ、とは、思ってたし。その程度のレベルである。

 ただ予想外だったのは、この“姉”の存在であった。 無論、マービットは姉と言うのがどう言うものなのか全く知らなかった。 知識では知ってはいた。書物やスライドで、一般知識は叩き込まれていたし、施設に後から来た子供たちの中には、兄弟姉妹もいた。だが、自分より年上の、自分を守ってくれる存在。あるいは近い存在と言うのを、マービットは肌で感じたことが無かったのである。

 姉。頼るべき存在。なにそれ? 意味わかんね。

 係官の話を聞きながら、マービットはポカンとした顔で、姉。“アリシア・ケンブリッジ“を見つめていた。

 そのときアリシアは、自分の弟になるという少年を見て、“綺麗だな”。と、思っていた。

 顔が似ている。この施設に来る前から、アリシアはマービットの姉になるのだと聞かされていた。 “親子”に成ると言うことはつまり、“そう言う役をしなければならにような仕事をさせられ”と言う意味である。要するに“人殺し”の“アサシン”に成ると言うことだ。 当の本人にしてみれば、それは途轍もなく大きな一つの転機であった。確かに訓練で人は殺してきた。始めて人を殺したときなど、発狂しかけたところを気付け薬で無理矢理正気にさせられ、悶え苦しみながらのた打ち回り、三日眠れなかった。しかし今では、もうそこまでに成ることなど無くなった。精々、食べたものを全て吐き戻して、夜中うなされて何度も目を覚ますくらいだ。

 怖かった。 殺しは、平気ではない。嫌だし、大嫌いだし、したくない事だ。でも、数をこなす内、自分はそれに成れて来ていると思っていた。現に、始めて殺したときほど、今は追い詰められた気持ちに成って居ないでは無いか。 怖かった。堪らなく。殺しに成れて来ている自分が。

 そんな様々な思いに引き裂かれそうになっているアリシアは、このとき始めてマービットにきちんとした形で紹介されていた。

 会う前は、怖くて怖くてどうしようもなかった。ガクガク足は震えるし、自室から出るときなど、まともに立てなかったほどだ。立ち上がってもすぐ目の前が真っ暗になり、クラクラと立ちくらみの様にベッドに倒れこんだりもした。

 マービットの事は、訓練の時良く見ていた。 人を殺す手際のよさ。身体能力に、状況判断力。それらに秀でたマービットの動きを、教官は口に出さずにも見習えと言うようなそぶりを見せていた。それに、自分の弟になる人物にも興味はあった。 眺めながらいつも思うことは、“彼がアサシンなのか”。自分がなる事を要求されているのは、ああ言う子なのか。だった。 そうして見ているときは、怖くは無かった。勿論、全然怖くない訳ではない。自分より優秀な“人殺し”に対する、当たり前の恐怖心は勿論合った。

 しかし、アリシアにとってマービットが恐怖の対象になったのは、別の理由だった。

「アリシアちゃんとあの子、ソックリだね。」

 今はもう死んでしまった友達が、そう言った瞬間だった。 全身の血液が突然無くなった様な、頭の中に突然石でも入れられたような。 巨大な遠心力に吹き飛ばされるような、数千Gの重力に捕まったような感覚だった。

 似ている。自分は徐々に“人殺し”が平気なアサシンに近づいてきている。

 つまりあれだ。 自分は彼のように成って来ている。

 怖かった。怖くて怖くてたまらなくなった。もう考える事もかなわず、その場でたったまま気絶するほど怖くなってしまった。

 アサシンに成った自分にソックリな男の子。

 しかし。そんな、アリシアにとってこれ以上無い筈だった恐怖の対象を前に、アリシアの心に恐怖が湧いて来ることは無かった。ただ感じたのは、“綺麗だなぁ”と言う思いと、“どこが私と似てるんだろう。と言う、そんな二つのことだけだった。

 弟。この子が?似てないのになぁ。

 係官の話を聞きながら、アリシアはポカンとした顔で、弟。“マービット・ケンブリッジ”を見つめていた。

 係官の話が終わって、最初に動いたのはマービットだった。

 本で読んだ様に、「お姉ちゃん」と呼びながら、姉の胸に飛びついてみた。

 その行動にアリシアは、慌てながらもしっかりとマービットを抱きとめていた。

 その時の事を、マービットは一生忘れない。 飛び込み、抱き締めた“姉”は、確かになんとも頼りなかったが、自分を殺そうとしていない初めての人物。マービットにとって他人が自分に当たり前に抱く畏怖やら恐怖やら忌み嫌う気持ちやらが、破片も無い。寧ろ自分に今まで一度たりとも感じたことの無かった“好意”を持ってくれている対象との、文字通りの初めての接触だったのだから。

 その時の事を、アリシアは一生忘れない。 飛び込み、抱き締めて来た“弟”は、確かに怖い存在ではあったが、自分の胸の中で感情を揺らがせている、一人の人間だったのだから。 驚いたような嬉しいような複雑な感情を入り乱せながら、ギュッ、と抱き締めてくるこの“弟”は、自分が思っていたような“恐怖”の塊ではなかったと思えたのだ。そんな“弟”が、少し、本当に少しでは有るが、自分に“好意”を持ってくれている。確かめた訳では無いが、触れるだけでそうと分かった。言い様が無い愛しさが、アリシアには込み上げて来た。理由なんて、良くわからなし、何でなのかも分からない。難しい心理学を持ってくるものも居るだろうが、関係無いと思った。 自分にこうしてじゃれ付いて来る“弟”を愛しく思ってなにが悪いと言うのだろう。

 

 それが。マービットとアリシアの、姉弟としての最初。始まりの瞬間だった。